うつ病で入退院を繰返してます。全国の看護師さんに感謝とエールを送りたくメール致します。
医療従事者のなかで看護師さんたちは、私にとっていちばん身近な存在です。人生初の入院で夜中慰めて下さり、医師と患者の板挟みになり、コロナ感染リスクの高い中で私たちを守って下さったのは、看護師さんたちです。
最近は、世の中はウィズコロナになってきていますが、医療現場ではそうではないことを最近の入院で知りました。その働きの尊さを忘れてはならないと改めて思いました。私の好きな格言、『あらゆる勤勉な働きには価値がある』という言葉を思い出させました。
全国の看護師さんたち、緊張感と使命感を持って働いてくださりありがとうございます!どうか、おひとりおひとり、これからもお体に気をつけて、この貴重なお仕事を”頑張って”(十分に頑張っています)ください。
昨年、手術の為1カ月入院しました。術後2週間は頭に電極が付いており、ベッドから離れられない日々、さらに24時間監視モニターがあり、かなりのストレスでした。
機械だらけの個室、ともすると孤独感が襲って来てどうしようもない時もありました。そんな時に看護師さんがバイタルチェックの際に寄り添ってくださった。今、皆さんどうしていらっしゃるでしょうか…どうぞお元気でいますように。
以前一ヶ月ほど入院した事がありますが、看護師の皆さまに明るく親切にしていただき日々の不安が和らいだことを思い出します。
今年に入り、大変な日々が続いているかと思いますがくれぐれもお体に気をつけて。医療機関の方々のご苦労は一般の私共には計り知れないですが、一人一人がほんの少しでも想像力を働かせて日々過ごしていけたらと思います。本当にありがとうございます。
また、この度このサンクスナースプロジェクトに参加することができ、改めて考えたり話し合ったりする機会が出来たことにも感謝いたします。
「灯台の明り」
鼻の中へメスを入れて「ハイ、頭を下げて」と言うと、メスが鼻の骨の中へ「ググッ」と入る。私が両手で洗面器を持っている。その中へ血がたまる。鼻中隔わん曲症と肥厚性鼻炎症と言う手術だった。
病室へ帰ると、後から、看護婦(当時)さんがやって来て「大変でしたねー」「大丈夫」「二日間、大変だよ」「すぐ、良くなるから」と次々、声を掛けて下さいました。
親や、兄弟、親戚は遠くに住んでいて、独りぼっちの僕には、あの時、掛けて下さった看護婦さんの言葉は、優しい母のようでした。
医師は、技術的に成し遂げ、看護婦さんは医師と、患者との潤滑油だと、思いました。現在、看護師と呼び名は変わっても、病を持つ身にとっては“有難い”存在です。コロナウイルスの最前線で闘う看護師さんは、私達には、暗い海原に灯をともす、灯台の明りです。ありがとう!看護師さん!!
私も、30才前半から体を壊し、ICUに入院し、手厚い看護のお陰で、立ち直り、今現在はかなりのリハビリの、毎日です。が、生きていることの、実感が、ふつふつとわき、心のカギを落としては、探すことのくり返し、ですが、命の有る事の喜びを感じ、人に対しての、思いやり、優しさを、忘れる様な、ニュース、悲しみや怒り、人の心を、忘れてしまう様な、出来事、が多い今日この頃ですが、感謝をし、一人一人が、真っ直ぐなキモチを持ち、前進していく勇気を持つと良いと思います。
どうしても感謝の気持ちを伝えたい人がいます。伝えても伝えても、その全てが伝わる事はありません。どう伝えて良いかも分かりません。だから私はこうしてメッセージを書いてます。
その人は自分の事を顧みず、患者さんの為に身を粉にして働く素敵な看護師です。常に笑顔を絶やさない患者さんのオアシスの様な存在です。誰よりもしんどい筈なのに、決して私達にはその顔を見せません。本当に我慢強い人です。
その人は看護師ですが私にとってはそうではありません。それ以上の存在です。家族であり、母親という素敵な看護師です。今の私があるのは貴方のおかげです。貴方は私にとって掛け替えのない最高の看護師です。本当にいつもありがとう。
病院に行く日は、朝からドキドキが始まる。恋するドキドキとは種類が違う笑顔になれない不安でいっぱいの胸のうち。普段よりも思い切り上がった血圧を看護師さんに見せると、「わかりますー。緊張しちゃいますよね」と、笑顔でさらっと対応される。その途端に多分上がっていた血圧も、すーっと下がる。看護師さんの笑顔と大らかな言葉のお薬の効果の大きいことったらありゃしない。
自分の娘世代の看護師さんに優しくしてもらえることの幸福感は、病気になってよかった!とさえ思わせてくれる。あなたはどうしてそんなに優しいの? そんなに元気なの? そんなに前向きなの? あれやこれや質問してみたい邪心を抑えるのに必死のおばさん。どうしても言いたいのは、いつもありがとう。
2018年、胃がんにより10月入院、11月手術で、計1ヶ月の入院生活。術後は、全身管だらけで身動きできず、麻酔が切れると痛みが増大し泣き言をいうしかなかった。夜中に高熱にうなされ、ナースコールすると全身に氷枕をしてくれた。ベッドで床ずれし真っ赤に腫れあがっている背中に、優しくかゆみ止めを塗ってくれた。術後10日後位か、入院後初めて頭を洗いシャワーを浴びた。妻さえも、娘さえもやってくれないようなことを、笑顔で対応してくれた。感謝の気持ちを伝えると「私たちは患者さんの痛みは解らないのでとにかく一生懸命看護する事なのです」と言われ、思わず心の中で手を合わせた。一生忘れられない経験である。
2017年にがんがわかりました。わかってすぐに、抗がん剤による治療のために入院。
毎日、泣いてばかりいました。そんな時に、看護師さんから「泣いてないで、楽しいことを考えなさい」と言われこれから自分に楽しいことなんか起きるわけないと、余計に泣く羽目に。そうしたら、看護師さんの「あーあーまた、泣いちゃった」の一撃。なんだか 悔しくて、その後、がんのことでは、泣いていません。医療面だけでなく、精神的にも助けられました。ありがとうございました。
今年の3月、くも膜下出血に倒れて多くの医療スタッフに支えられ、熱心なリハビリの お陰で、今自宅で過ごせています。多くの患者さんの悲痛な声に機敏に反応され、24時間フル回転の看護師さん達。本当に頭が下がります。決してきれいではない身体の世話も黙々と行なって下さいました。思えばこの時期は感染症の影響で緊張していたはずですが、それを感じさせない看護師さんの笑顔は心を和らげるものとなりました。
聖書の中に`私は喜んで皆さんのために尽くし何もかも差し出します'という言葉があります。自分の事ばかり考える人が多いこの時代、他の人のことに気を配れる看護師さん達は聖書に書かれている事を実践する方達だと思います。ありがとう。助けていただいた命を大切に生きていきます。
少しのミスも許されない大変なお仕事、心より感謝申し上げます。皆様と、ご家族様の幸せを祈っております。
私は73歳の時に前立腺肥大症の手術を受け、入院した。病室は4人部屋で、その時の看護師さんの対応に甚く感動したことを思い出す。
本病は高齢者特有の病であり、当然患者は高齢者である。80代になると、耳は益々遠くなり、認知機能も低下してくる。その上、多くの患者は何らかの不安を抱えているため、患者との会話はなかなか噛み合わず、意思疎通を図るのも容易ではない。その時看護師の仕事は、看護のみならず介護もこなさなければならない過酷な業務であると実感した。複数の患者を担当する看護師さんはイライラが募ると思うのだが、彼女たちは穏やかに接し、丁寧に対応していたのには吃驚すると共に感服した次第である。
そうした忍耐強く柔軟に対応する姿にどれだけ多くの患者が救われたことだろうか、といつも思うのである。
今年の5月はじめ、コロナウイルス禍の真っ只中に、母が交通事故で病院に搬送され、緊急入院をしました。病院は家族でさえ面会禁止の中、本当に看護師の方々に支えられました。洗濯物や届け物は、受付まで持参すると、必ず担当の看護師さんが母の病室まで運んで下さり、また母の様子を詳しく知らせてくださいました。厳戒体勢の中、いつも以上に緊張感が続き、看護師の方々の負担は想像以上に多かったと思いますが、私たち家族にも、とても丁寧に対応をしてくださり、母に会いたいのに会えない気持ちまで汲んで下さいました。
おかげで、わたしも母には心強い看護師の方々がついてるから、お任せしようという気持ちになれ、母の回復を信じることができました。母が奇跡的な回復をすることができたのも、本当に看護師の方々の働きかけがあったからだと思います。しなやかで逞しく、聡明な看護師さんの存在に何度励まされたことか。感謝の気持ちでいっぱいです。
この「コロナ禍」の中で、患者さんのために命がけで働いておられる看護師さん、心より感謝しております。
話しは変わりますが、十数年前だったか、ある病院で手術を受け入院した時、若い看護師さんが任務に忠実に、そして患者である私へさりげなく、こまやかに、とても自然体で心づかいをしてくださった姿も、今もなお心に残っています。ある時「よく看護していただいて、とても感謝していますが、そんなに一生懸命で疲れませんか?」と聞いてみました。やはり「疲れています…」とのこと。でも、その後も同じ姿勢で一生懸命働いておられました。若い彼女から「内に秘めた、看護師としての静かな使命感のようなもの」を感じました。すぐに怠け心がおこってくる私は、この看護師さんのことをよく想いだします。
高い志を持って働いてくださっている看護師の皆さん、ご自身のお身体のこともくれぐれも大切になさってくださいね。
昨年子宮体がんの手術で大学病院に入院しました。術後の痛みと残尿計測がつらく、夜中に「ヤクを下さい」と嘆願したこともありました。そんな時も優しく笑顔で私の気持ちを汲み取ってくださり、ヤクは出して下さらなかったですが、安心させて下さいました。すごい技術です。おかげで今はとても元気になりました。ありがとうございました。
看護師の方々の笑顔と技術が、患者の心身を支えて下さっています。みなさまの健康と幸せを祈っております。
「たくさんのありがとうをありがとう」
現在七十八歳。看護師のOGです。六十歳定年の日まで、三十五年間公立病院で働きたくさんの「ありがとう」を頂きました。
看護師に関して、昭和後半から平成前半に大ブレイクした言葉があります。「キタナイ」「クサイ」「キケン」という三Kです。
当時、小学校高学年だった長女に「お母さんの仕事って、そんなにイヤな仕事なの?」と質問された。「いいえ、あれは間違い。母さんの仕事の三Kは『感動、感謝、個性』よ。」「そうだよね。立派なお仕事。すごいんだ。」と誇らし気に友人に話していた長女。
コロナ禍で看護師への感謝として、世界同時に拍手を送ったり、飛行機をとばしたりするイベントがあるという。ネガティブな言葉で三Kと忌み嫌われていた時代に比し、隔世の感がある。今後は拍手などではなく、美辞麗句もいらない。一人の人間が自分に課せられた使命に向き合い、冷静に働く姿を伝えてほしいと願う。それが看護師なのだから…。
ブルーインパルスが空を舞った日、六十数年前私が二十歳の時の事を思い出しました。母が胃がんの為入院となった私は母と二人暮らしのため一人暮らしになる事を配慮し病室で一緒に暮らすことをゆるしてくれた。暖房など無かった時代なので朝早く誰も通らない玄関前で七輪に炭火をおこし部屋に入れる事をゆるしてくれた。それもこれも当時の婦長さんの計らいだったのです。やわらかく煮込んで有るシチューを持ってきてくれたり、私の悩みを聞いてくれたり、私は看護婦さんて病を治すだけではなくその家族の心に寄り添ってくれる、これがほんとうの看護という事なのかと思い、今でも忘れる事が出来ません。
時代が変っても、今でもこのように自分の命をかけて看護をしてくださっている方々が おられる事を知りました。愛がなければ出来ない事、私も慎んで行ってお手伝いしたいのですが出来ません。私は皆様方を愛しそのご家族の皆々様に愛と感謝を送らせていただきます。“ありがとうございます”
看護師さんへ。いま世界規模で感染拡大していますこの新型コロナウイルスの一番の恐怖の中で、看護の道は技術よりも「医師を助け人々の幸せのために…」とナイチンゲール誓詞にもあるようにやはり暖かい心をもって看護する事が一番必要なことだと思います。医療の進歩のおかげと共に適切な看護そして暖かい言葉に心を慰められ回復への希望が湧いて来るのです。
心に涙を溜めながら苦労の汗して日々大変な危機感と向き合いながら、全力を尽くして下さっている看護師さんに、本当に感謝を、しております。心より大きな大きな拍手を送らせて頂きます。有難うございます。
私は5年前、前立腺ガン全摘出手術で3週間弱入院しました。担当看護師は若い女性看護師で名前にヒヨコマークがあり、「このマークは何ですか」と問うと、「今年から現場に出た1年生です。よろしくお願いします」との事でした。手術前日、担当看護師も同席して手術の詳細を医師から聞きました。時おり医師から看護師に質問や指示がありましたが的確に応えていました。入院の間、担当看護師を中心に巡回の交代はありましたが、皆様から励ましなど親切に対応をしていただきました。そのおり看護師の皆さんに感じた事は、 「ヘッドワーク:豊富な知識 」「ハンドワーク:適切な技能」「フットワーク:素早い行動」 「ハートワーク:患者に寄り添う姿勢」「デスクワーク:患者の情報管理」「チームワーク:病院、医師、看護師等々の協力態勢」でした。昼夜変わらずの対応に感銘を受け、感謝いたしております。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
人生、上り坂、下り坂、そのまさかに、出逢いを得るとは、思いもよらなかった。四月~六月と二か月あまりの入院生活を送るはめになってしまった。我が家は、父も母も他界し、私達夫婦と息子の三人、その私が入院ともなるなんて、最初は、別荘気分と、三食昼寝付きと喜んでいたものの月日が経つうちに、男二人で、どうなることか、病院は、コロナ禍で、面会禁止、洗たく物も、息子が持ち帰り、その仕上がりは、病院の入り口で、渡す、看護師は、朝から晩まで、24時間伝書鳩のように、入院患者から家族へと、伝言があれば、そして患者の様子を家族に伝え、安心を与えて、本当に感謝、それじゃなくても、ワガママ気まま、認知の進んだ年寄りと、ときには、厳しくもあり、やさしさもありと、仕事とは言っても、本当に二か月あまりの入院生活を楽しんで送ることが出来た。病院の皆様に本当に感謝です。ありがとうございます。
昭和一けた生まれの私は、子供の時から、病院が苦手でした。特に先生より看護婦さんが怖そうに見えた時もあります。
ところが、六十才をすぎて大腸ガンがみつかり大学病院に入院することになった時、 ショックと緊張でガチガチの私を迎えてくれたのは、「お待ちしていました。」という若く明るい看護師さんの笑顔でした。彼女の暖かい言葉と思いやりに、ふうっと力が抜けて何もかもおまかせしようという気持ちになり、それから長い療養を終えることが出来ました。患者にとって、看護師さんの暖かい思いやりのある言葉や気持が、時には薬よりきいてくれる気がします。
今コロナの厳しい時代に御家族の不安などや危険と戦いながら、お仕事をこなしていられる健気さに、私も涙ぐむ思いです。どうぞお体を大事になさって下さい。心からの感謝をこめて。
私達は具合が悪ければ医師に診察してもらい、必要があれば検査、入院。よほどの大病でないかぎりいつかは健康を回復するものと、何となくそんなつもりで生活しています。
しかし新型コロナウイルスは、そんな何となくを根本からひっくり返す感染症です。いつ、誰が感染するかもしれない、日常と隣り合わせの、命に関わる感染症。瞬く間に世界中に広がり、ワクチンも無く、また治療法も確立されていない。
そんななか、次々と増え続ける患者と最も接する機会が多いのが、看護師のみなさん。仕事とはいえ、この得体の知れないウイルスの患者に対し、声をかけ、勇気づける。看護師だって人間です。不死身ではありません。看護師にやってもらって当たり前ではないのです。我々は常に命懸けの看護師に感謝し、彼ら・彼女らの健康も守られるよう 願ってやみません。
私の次女も看護師になって三十年が経とうとしています。今年はコロナ禍で娘の病院も新潟県の感染者の入院病院に指定されています。その厳しい中で医療に従事しているので毎日案じています。一日も早い終息を願いながら元気に仕事して下さい。
四年前お父さんががん手術をした時は貴女が看護師でいてくれたこと本当に心強く思いました。これからも誰からも慕われる看護師さんでいてください。
毎日大変だと思います。患者は、看護師さんとお医者さんがいないとどうにも出来ません。一人の免疫力などどうにもなりません。病体は、気力、体力全てアウトの状態です。
ねばり強く、治療を続けてくれることが、私に何とか良くなろうと気になります。皆様健康に気を付けてください。
二十年前の六月に直腸がんのため入院した。ここの病院の肝門科は有名だった。丁度その頃看護学校の実習生がわたしの受け持ちだった。実習は一週間だったので、最初はお互いに不安でした。
手術後の点滴のため手につけた針がぬけて大騒ぎになった。実習生はわたしにあやまっていました。髪を洗ったり、ドライヤーで乾かしたりしていただき、さっぱりしたことを覚えています。学生は初めての経験で気を使っていたのだろう。
今になって思えば、縁の下の力持ち、重労働、大変なお仕事です。看護師さんの使命にはいつも感謝している。
令和2年3月17日最愛の母を亡くしました。治療中もホスピス転院後もそれぞれの場で看護師の皆さんにお世話になりました。疲れているとき、絶望に押しつぶされそうなとき、あなた方の笑顔と献身的な態度にどれほど救われたか。ありがとうございました。
緊急事態宣言発出の前日に入院、翌日に手術を受けました。入院の前日に付き添い・面会は不可と知らされました。同室患者の咳にもピリピリとする緊張感が流れていました。手術後は起き上がれず、一切を看護師さんに委ねるしかなく、術前に聞いてはいたものの37度半ばの微熱が2日間続き、「もしかして感染したのでは」と怯える私に、「大丈夫。術後には必ず起きる現象だから。」と言葉をかけて下さり、「一人で手術を受けて不安だよね。ごめんね。」と言って下さいました。謝って貰うことなんてないのに。
患者や患者の排出する物に直接触れる看護師さん達の方が余程リスクにさらされ、恐怖を感じるはず。それを表に出さない献身的な看護に頭が下がるばかりでした。受診するのが普通だと思っていましたが、今回こんなにも心身を尽くして下さる存在を身をもって 実感しました。ありがとうございます。
本年早春から思いがけない新型コロナウイルスと言う目に見えない病魔が世界中を恐怖のどん底に陥れています。しかも収束の目処がたたないこの悪魔は一体この先どうなるのか思いやられます。
我が家の長男と二男の嫁は看護師です。長男の嫁の病院には感染者が居ると聞き心配です。「くれぐれも気を付けてね」というくらいしか言いようがありません。
また、私は心臓病を始め複数の病気持ちで入退院を繰り返しています。入院して手術中も家族は入院部屋にも入れず病院の外で自家用車の中で待機しています。入院部屋の出入りは医師と看護師だけです。そんな中、看護師さんの活躍には頭が下がります。呼び鈴を押すとすぐに来てくれて対応してくれますし、夜中も数少ない人数の中でそおっと変わりないか覗きに来てくれます。大変な仕事の看護師さんにはただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
忙しい中くれぐれも自分の体にも気をつけてください。
ご自分の生活や危険も心配な中、みんなの為に動いて下さり本当に尊敬します。いつもありがとうございます!私も体調が悪くなって心配な中、いくつか病院を回って、最後にたどり着いた病院で先生や看護師さんが優しくして下さり、涙が出るほど嬉しかったです。貴方達は天使!神様は見ていると思います。本当にありがとう。
看護師のみなさま。先の見えない状況の中、感染へのリスク、ご家族や大切な方への心配、多忙な業務、様々な不安を抱えながらも、たくさんの命を守ってくださり本当にありがとうございます。相手を信頼すること、思いやること、困ったときにそばにいること、これらの大切さを、みなさまのケアの中から教えていただきました。どうぞこのような状況ですが、くれぐれもご自愛ください。みなさまの心と身体の健康を、心よりお祈りしています。
私は、「非結核性抗酸菌症」という持病がある。最近は徐々に増えている女性に多い病気である。二か月に一度呼吸器内科へ通院している。今はコロナ禍で患者も制限され看護師さんも少人数で対応していただいている。
血圧、脈拍を測り日々の変調を問診して下さる。医師の診察前の緊張をやさしい言葉で気持ちをほぐして下さる。こまやかな気配りに癒される。本当はコロナ禍で私に接するのも恐ろしいことでしょう。でも、そんなそぶりは微塵もなく白衣の天使に救われている。心からの感謝と敬意をもって、ありがとう。
会社の定期検診で胃カメラの検査を受けました。毎年、滞りなく済むのに今年は医師の指示に従ってもできません。「飲みこまないなら検査は中止ですよ」という言葉、別室から様子を見にくる看護師さんの姿に焦りがつのり、涙がにじんで諦めかけました。その時に介助をしていた看護師さんが、背中を撫でながら「大丈夫。上手くできていますよ。もう少しだけ頑張って」と励まして下さり、何とか飲み込めたのでした。毎年この検査に背中を優しくトントンとして下さる動作に子どもに戻ったかのように安心させられました。
緊急事態宣言中に手術を受けて術後、身動きできない私の身の回りを世話して下さった手。歩行器に頼りおぼつかない歩みの私を支えてくれた手。さまざまな看護師さんの献身的な手にいつも助けられていたことに気づかされました。心から感謝を伝えたいです。
不安であっても身体を張って私を守ってくださる看護師の皆様にはほんとに頭が下がります。頑張ってくれているから、頑張って下さいとはいえない。ただひたすらありがとうございます。
感謝と言う言葉しか送れない私ですが、看護師の皆様お身体大事にされて下さい。ありがとうございます!
月1回、母のブロック注射のための通院は、注射して2時間もすれば、覚束ないながらもつかまり歩きができるようになり、お昼を食べて帰るのがルーティーン。でもその日は、4時間経っても5時間経っても足が動かないばかりか、認知症の母は心の不調全開!!涙ながらに看護師さんにきつい口調で訴えます。外来が閉まる時間が近づき、あせって母を諫める私の横で、看護師さんたちは笑顔で母の目線にあわせて話を聞き、手を握ってくれます。ここまでは「看護師とは、そういうことができる人たちだ。」と、私の想定内だったと思います。暫くして何とか帰れる状態になり、車椅子を押してタクシー乗場に向かうと、勤務を終えたはずの看護師さんが駆けてきて、「雨が降ってきたから心配で・・・」と、傘をさしかけてくれたのです。これまでの母や私への気遣いが全てつながり、「あぁ、そういうことなんだ。」と、何か腑に落ちた感覚でした。いつも本当に本当にありがとうございます。
どんな場面に遭遇してもいつもあわてず、まわりの人達を安心させながら、てきぱきと 行動してくださる看護師さん。子供の頃はみんな白衣の天使さまと呼ばれた看護師さんに あこがれた。難病をかかえた老人となった今、入退院をくりかえす私にとって看護師さんはまさしく「白衣の天使様」である。
「よかったね」といつも病人に寄り添いながら、時々は叱ってくれる看護師さん。お世話になった若い男性の看護師さんに「どうしてこの道を選ばれたのですか?」と尋ねたところ、「直接苦しみと向き合っている人に手を差し出して自分も人の役にたてていることを確認したかったのです。」と返ってきた。
深夜病棟 ナースコールが 鳴りひびく
化粧せず 笑顔をくれる 看護師さん
在宅介護 どんな遠くも いとわずに
看護師さん あなたは私の 生命づな
ありがとう 他のことばが 見つからぬ
新型コロナウイルスの感染拡大において、感染のリスクを背負いながらも医療現場を 支えてくださっている医療従事者さまのお陰で、日々を繋いでいくことが出来ています。心から感謝いたします。
日々の努力が無駄にならないよう、自分自身と身近な人を守るために、不要不急の外出や、3密を回避しながらできることをして感染拡大防止のために頑張っていきたいと思います。1日でも早い収束を祈っております。
みなさまもどうかお身体をご自愛くださいませ。
幼い頃、長期入院する機会がありました。風光明媚な場所ですが古い病院でした。病院は痛い、自由に遊べない、など子供にとってあまり嬉しい場所ではありません。医療従事者の方々がみな真剣に仕事をしてくれているのは子供でもわかります。それでも白衣の大人たちは遠くに感じたものです。
入院生活の中、看護師さんたちはしょっちゅう病室に来てくれました。「難しい本よんどるね」「雨がひどいね」どうでもいい会話。暇なのかな?くらいに思っていましたが、しだいに心がほぐれていき、しまいには会うのが楽しみにさえなりました。後で聞けば、私が重い病気だったらしく、激務をぬって様子をみにいらしていたようです。そんな様子は微塵もなかったのですが。
退院の日、「また来たいです」と言ったときの、涙ぐみつつ複雑そうな顔はよく覚えています。看護師としての慈愛とプライドに、感謝を忘れたことはありません。
全世界に広がったコロナの感染。平和に慣れすぎた日本は予想以上の悲劇となりました。政治家の数だけの方針。準備もないままの休校・休業・在宅勤務。現場でしか出来ない仕事が如何に多いか。特に病院・施設関係者の家庭も犠牲にした賢明な仕事に頭が下がり、感謝の気持ちで一杯です。
35年前に一ヶ月に二度の手術の折、眠れない夜の巡回時、眠ったふりをした毎夜。暗いトイレで、患者の尿の測量をされる姿。私の様なものにも献身的に支え、励まして下さった仕事振りが思い出されます。忘れられません。その後、二人の母の介護。五年にわたる夫の入院・入所生活。本人は不満もあった様ですが、大変お世話になりました。必死で取り組まれる看護・介護の現場。不測の事態も起こる事がありますが、即、責任・裁判・SNSの心ない中傷。報道の在り方も含め、大切な事ながら事故を防ぐ制約で、患者に何もさせない事が多くなり、機能低下。痴呆も進む事が多いのではと心配します。必死に頑張って下さる姿に無理を云えない様にもなりますが、事務手続きが繁雑で患者に向き合う時間がへり、頑張られる当事者に心からの暖かい感謝の気持ちを、心からお伝えしたいと思います。ありがとうございます。知事・先生方の会見でも自身のお言葉で 心をこめて説明される態度は、私達にも響き、自分が無症状でも保菌者かもという自覚を持って、皆でもう少し頑張っていきたいものです。
◎「しばらくは離れて暮らす『コ』と『ロ』と『ナ』つぎ逢ふ時は『君』という字に」 (作者:タナカサダユキ)
◎「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑ふな行く道だもの」(作者不詳)
この二首を心にとめて、揚げ足取りや中傷は止めてお互いに感謝を込めて、優しい気持ちで過ごし、少しでも早く収束しますよう願っています。(文句を言う人はごくごく一部です。)うまく気持ちが伝えられたら嬉しいです。感謝‼感謝‼
今年の一月に妻の父が他界しました。昨年の夏に脳梗塞で倒れたのが原因でした。点滴で何とか命を長らえている時に、転院が必要となり、ある介護施設に入所しました。相部屋の入居者が目まぐるしく入れ替わる中で、いつも心温まる言葉をかけてくれたり、食事の面倒を見てくれたりした看護師さんに、心が疼くことを感じました。人間の最期を常に見届けることが宿命でありながら、誠心誠意を尽くす姿は、まさに『天使の妖精』です。
父の他界から、まもなくこの病院の名前がテレビに映し出された時は、目を疑いました。新型コロナによる『クラスター』が発生したのです。幸い、院内感染は収束したとのプレスリリースがあり、ひと安心しましたが、新型コロナの勢いは、留まる所を知りません。
入居者のために危険を背にしながら、仕事に全力を尽くしている看護師さんに、「ありがとう。けど、ご自愛くださいね。」と、大きな声で伝えたい気持ちでいっぱいです。
感染症の収束の兆しが見えない中で、自身を犠牲にして患者のために心を砕き働いてくださる看護師の皆様に感謝いたします。医療知識をお持ちのため、感染症の怖さは一般人より遥かに強く認識しておられるはずです。それでもよりリスクの高い第一線で自身を差し出し働かれる姿は本当に素晴らしいものです。
約2000年前、多くの病人をケアした偉人は「健康な人に医者は必要ではなく、病気の人に必要」というシンプルな格言を残しました。病気の心配の無い未来は実現するのでしょうか。少なくとも現在は病気にかからない人はいないので、皆様のような医療従事者は世の中にまさに「必要」な方々です。先の偉人は「受けるより与えるほうが幸福である」とも述べました。自身が「受ける」利よりも、患者のために看護や治療そして元気を「与える」事を優先して従事してくださる皆様に、改めて感謝申し上げたいと思います。
東京在住35歳、4月に乳がんが発覚しました。
コロナ禍、東京の状況が読めなかったので地元に転院し、地元の病院で右胸全摘出の手術を行いました。入院期間は1週間ちょっとでしたが、毎日変わる担当の看護師さんたちの優しい対応に心が救われました。入院中、嫌な想いをすることは一切ありませんでした。
病棟の明るく、包み込むような雰囲気に勇気をもらえ、痛みと闘って前向きに過ごすことができたこと、感謝申し上げます。激務の中でも、明るさと優しさに溢れた対応をしていただき、私以外にも救われている患者さんがたくさんいることと思います。病棟の雰囲気を作っているのは看護師の皆さんだと思います。
どうぞ、ご自愛の上、今後もお仕事に励まれてください。
コロナという怖い病気の最前線で私達を守ってくださり「ありがとうございます」の感謝の言葉しかありません。私は自分のがん治療で出会った看護師の方、主人の交通事故の救命救急で出会った看護師の方、振り返ればたくさんの看護師の方に支えられてきました。
主人の交通事故では手術の際心配そうに見守る私と主人の手を取り二人の手をつないでくれ、「大丈夫」と私に言ってくれたのを覚えています。その家族を思う優しさは忘れられない場面です。いつでも最前線でそれぞれの家族を思ってくれている気持ちに感謝の言葉しかありません。
そんな出会った看護師の方にあこがれ、娘は来年大学を卒業し看護師になります。娘がこの道を選んだのもいつも家族に寄り添ってくれた看護師の方に出会えたからだと思います。きっと娘は私や主人を助けてくれた看護師さんを目標に頑張ることでしょう。看護師の皆様心より感謝いたします。
私は2016年12月に血液のがんの罹患がわかり、合計4回入院しました。そのとき看護師の方には本当にお世話になりました。常に患者の気持ちに寄り添って安心を届けていただきました。
今、このような状況下になり、心身ともにギリギリの状態の中、頑張っていただいている、すべての看護師さんに、感謝とエールを送りたいと思います。ありがとうございます!!
13年前の5月下旬、帰宅して左腕を枕にしてテレビを見ていました。「夕食だよ!」妻の声で起き上がったところ、ふらつき、めまい、そして左腕が抜けたような脱力感、卵焼きを口に入れようとするが口に入れられない、吐き出せない。「顔が歪んでいる!」。すぐにJ大学附属病院に。一過性脳虚血発作である。緊急入院、ICUに入り、点滴投与で一晩過ごす事になった。翌朝精査の結果、心原性脳塞栓症。
ICUで一晩付き添って面倒をみてくれたのが教え子のY君であった事が分かった。朝方、汗びっしょりの私を見つめて少し微笑みながら頷いていたY君。在学時には空手部の主将でたくましくも、心優しい看護師として職場のリーダーとなっていた。私の担当の女性 看護師と近直結婚の予定だという。今、J病院はCovid-19治療の最前線として地域医療の中核となっている。Y君夫婦は一体となってその真っ只中で奮闘している。その優しさと頑張りは必ず報われる。Y君本当に有り難う。
いつ収束するかも分からないコロナ禍において、懸命に看護を続けられている世界中の看護師の皆様方に本当にありがとうございます。
看護師の皆様方のご負担を増やさないことしか、この感謝を示すことができないのであれば、自分および家族、友人・知人が新型コロナウイルスに感染しないように、声を掛け合って適切な感染予防に努めてまいりたいと思います。
何度も入院の経験があります。その度に病院の中で一番に頼りに思うのは看護師さんです。いつも明るく声をかけて下さり、日常生活のこまかいことから、病気や薬のことまで相談に乗っていただき、いつも感謝でいっぱいです。今は新型コロナの影響でよりお仕事も忙しく、大変になっていることと存じます。感染のリスクと闘いながら、医療現場で力をつくしてくださるご苦労、その上風評被害やご家族への差別までと闘わなければならない皆さまのお気持ちを考えると胸がつぶれる思いです。
ぜひご自身の健康にもご留意いただき、皆さまの笑顔が続きますようにと心より願っております。看護師さんのご尽力とその笑顔がどんなに患者の心と体を元気にしてくれるか、感謝を込めてお伝えしたいと思いました。
社会は新しい生活様式に従って日常生活を取り戻しつつありますが、医療現場で働く皆様にとっては毎日が戦いだと思います。私も毎月検診に行きますが、目に見えないウイルスに恐怖で病院に行くのをためらったことがありました。皆様は危険と隣り合わせの状況でも働いてくださり本当に感謝しかありません。皆様に患者さんからありがとうと心から感謝の言葉が掛けられることを願っていますが、そうでないこともあるかと思い、私の 好きな言葉が皆様の力になってくだされば幸いです。
「私がほほ笑み掛けると、人々はそれをありがたく感じた。私の明るい表情は人々を安心させた。」お医者様は厳しい表情でも看護師さんのほほ笑みや明るい表情に患者さんたちはきっと救われていると思います。口に出さなくても心では感謝しておられると思います。そのことを胸にいつまで続くかわからない過酷な医療現場で奮闘してくださることを心から願っています。
Kさん、今もお元気ですか?その節は大変お世話になりました。もう半世紀以上も昔に入院していた10歳の年のこと、覚えていらっしゃいますか。その夜は眠れなくて。ナースステーションに行くと、看護師さんがお饅頭をひとつくださって、それで病室に戻ったのですが、それでもまだ眠れなくて。めそめそしながらまた看護師さんを訪ねると、情けない私の表情を見かねたのか「私の部屋に行きましょう」って、看護師寮に連れて行って下さり、お部屋に一晩泊めて下さったんですよね。お陰でぐっすり眠れたことを覚えていますよ。
私にとっては、良き昭和の時代の甘酸っぱい思い出でしたが、翌日師長さんから大目玉をくったKさんにとっては、とても苦い思い出でしたでしょうね。当時の香水の香りは、残念ながらもう覚えてはおりませんが、あの優しかったKさんは、紛れもなく私にとってのナイチンゲールでした。
私が小学生の頃、きょうだいが何年も闘病していました。病室のあるエリアに子どもは入ることができず、きょうだいに会うこともできないまま、見舞いの母を待合スペースで何時間も待つ日々でした。
小児病棟の看護師さんたちは、私を見かけると必ず声をかけてくれて、読んでいる本について聞いてくれたり、きょうだいの様子をそれとなく伝えてくれたりしました。病気のある子どもが家族のすべての中心になりがちな中で、私を気にかけてくれることが何よりも嬉しかったことを、30年以上たった今でも覚えています。今思えば、あの声かけも看護の一環だったのだと思います。看護とは奥深いものですね。
看護師さんの心遣いのお陰で、私はたくさんの我慢が必要な体験を乗り越えることができました。今も病気と闘っている子どもと、そのきょうだい児のために、看護してくださる全ての方へ、ありがとう。
私が初めて脳梗塞になった時、お世話になったのは知らない街の知らない病院でした。宣告されても受け止められず、混乱したまま入院。目が回っていました。週に一回しか病院に来ないお医者様に「治療中でも急に症状が急変するかもしれない」と言われて、私は不安が爆発。でも看護師さんから「大丈夫!私達がいます!」という力強いお言葉をいただき、頭が冷えました。
白衣の天使といえば、優しくてフワフワというイメージがありますが、天使は悪魔をやっつけます。看護師さんも、時には厳しい事を言います。病気が辛くて看護師さんに当たってしまう患者もいます。あまりにも忙しくて、患者に当たってしまう看護師さんもいます。でも負けないでください! 経験した事は必ず実になります。天職として勝ち取ってください。
人類の歴史を振り返ってみると、太古の昔より、ウイルスや細菌とは、様々な戦いを経て、共生共存の道を模索して見い出す事を繰り返して来たように思われます。この度も未知なるコロナウイルスの出現によって、世界中の人々は悩まされ、苦しめられています。
そんな昨今、医療従事という特別なスキルと使命のもとに、最前線で奮闘されている皆様には、尊敬の気持ちを抱くと共に、頭が下がる思いです。それにつけても、様々な報道で、医療従事者の方々に対して、無知や思いやりのなさからくる偏見や差別、心ない言葉を投げかけるという事を耳にするたび、そういう醜い心に、あきれると同時に怒りすら覚えます。
医療従事者の皆様が、誹謗中傷から解放される事、又御家族の方々に負わされた心の傷が早く癒される事を切に願い、お祈り申し上げます。
私は戦後、九州の海のそばの結核療養所に入院しておりました。当時、私が結核にかかったことを知った父が部屋にこもって大きな声で泣くほどの大病でした。肺の辺りを大きく切り取る手術が必要と言われ、「嫁入り前の娘が・・・」と。年をとっていろいろ忘れていますが、療養所のことは覚えています。療養所では、看護婦さんによくしていただきました。若い方もおられました。看護婦さんは病室にも来られるのですが、「看護婦さんには結核はうつらないのだろうか。うつるかもしれないのに、どうしてお世話してくれるんだろうか」と不思議な気持ちがしていたことを、コロナのことをいろいろと聞き、思い出しました。新しいお薬のおかげで手術はせずに結核は治り、長生きできています。ありがとうございます。
いつも思うのですが、看護師さんはとてもやさしいのです。父や母が入院していた時、何てテキパキと動き、やさしい言葉をかけて下さるのかしらと、感心して見ていたことを思い出します。イヤな顔ひとつせず、細かいところまで気づく、どのような使命感が彼女たちを動かすのか不思議です。今回の大変な状況にも積極的に病気の人々をサポートしてくれます。
印象に残った出来事があります。メディアで聞いたことですが、ある事件の容疑者が重度の怪我から回復して事情聴取に応じられるようになったときに、入院中を振り返り「人生で、こんなにやさしくしてもらったのは初めてだった」と言ったとか。つらい日々の果てに最悪な行動に走ってしまった人に対しても懸命なケアをしてくださった看護師さんに びっくり。私にはできないことです。今は働きづめでしょう。身体に気をつけて、頑張ってください。ありがとう!
以前、手術入院し、シャワーの許可もまだ出ていないとき、看護師さんが「シャンプーしませんか?気分が良くなりますよ」と勧めてくださいました。初めての入院でしたのでこんなこともやっていただけるの?とちょっとびっくりしました。まるで美容院へ行ったかの気分でした。ありがたいことはもちろんですが、そのとき、看護師さんはあんなこともこんなこともすべてがプロの腕前なのだ!と感心いたしました。
今回のこのコロナ禍で看護師さんは生命の危険にもさらされている大変なお仕事だということを改めて知らされました。
これからもお世話になりますが、邪魔にならないよう協力いたします。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
長い間患者生活を送っているひとりとして、コロナウイルスが流行している今も、これまでも、そしてこれからも、ずっと感謝をしています。
「保育園に迎えにいったとき、別の場所に隔離され、ポツンと私を待っていた娘をみて、胸が張り裂けんばかりだった」との報道を耳にしたとき、私の胸も張り裂けそうになりました。
我が娘の幼い頃の姿と重なり、いてもたってもいられず、近くの保育所や子育て支援センターに足を運びました。医療のお手伝いはできなくとも、お子さんを預かる、そういうお手伝いならできるかと思ったのです。しかし、感染症対策病院の近くに住んでいない私には、そのニーズとマッチすることができず、今に至っています・・・・・・。
医療の最前線で戦ってくださっているあなたにも、守りたい大切な家族がいる。そんなことをいつもいつも深く思いながら、感謝しています。
また、思いも寄らない偏見が大きくなったら、声をかけてください。微力ながらも力になりたいと思っている人が、きっと、あなたの近くにもいます。ありがとうございます。
見えないウイルスと闘いながらも、自身のリスクもあるのにもかかわらず、初対面の私に優しくしてくれてありがとう。
コロナみたいな症状が出ている私を、せっかく隔離して診察いただいたのに、採血後に 体調不良を訴えたら、ベッドを貸してくれ休ませてくれましたね。目の前に具合の悪い人がいたら放置しない看護師さんの精神、到底真似できるものではありません。体調が良くなかったからきちんと言えなかったけど、看護師さん、ありがとう。
「叱ってくれて“ありがとう”」
平成13年1月、左脚親指を難治性潰瘍の病名で手術を受けました。病院で四回の手術を受けたのですが再発をくり返してしまいました。東京在住の弟の意見で診察を受け、専門のお医者さんと出会い手術をうけたのでした。小さな部位の割に大きな手術でした。拘束されているのは左脚のみで右脚は自由に動けましたので、手術翌日の朝、車椅子を使ってトイレへ行ったのです。看護師さんからは、ベッドから降りる時は呼ぶように言われていました。廊下で看護師さんに見つかり叱られました。忙しそうだったので…と謝ると「私は医師から信頼されて術後の看護を任されています。事故があったら大変ですから必ず呼んで下さい。」と厳しく叱られたのです。私は、叱られながら、看護師さんの自分の仕事に対する責任感と誇りをしっかりと感じました。看護師さんへの尊敬と感謝の念でいっぱいになりました。
コロナ禍の元、必死の看護に当たっておられる看護師の皆様、心から感謝申し上げます。 昨年12月弟が末期癌で亡くなる時、手厚い看護を受けました。家族の私も気遣っていただきました。その時も感謝の思いで一杯でしたが、コロナ流行後、私自身もがんの検診を受ける必要があり、同じ病院に行きました。8ヶ月ぶりの病院では徹底した感染症対策がなされており、不安が払拭されました。その時ふと、ここに看護師さんが一人もいなかったらどうなるだろうと、想像しました。いつもそこに看護師さんがいるのが当たり前の情景に慣れてしまって、患者の自分がどれ程頼り、助けられていたのか深く考えることがなかったのでした。そして、看護師さん一人一人に大切な家族があり、守りたい人がいるということも、改めて思いました。
私は、苦しい時こそ「いつも喜び、全てに感謝」をモットーに努力したいと思っています。今こそその時で、全ての看護師さんに感謝と応援の気持ちをお送り致します。「何があってもめげないで」
私は、五回入院の経験があります。看護師さんの誠心誠意なアドバイス、治療には、感謝と感動を覚えています。
その白衣の天使に悲惨な出来ごとです。患者さんを治療する時に感染して亡くなる方が多すぎる。医師や看護師は最もウイルスに対しての知識があるのに感染してしまう。こんな悲しいことはあってはいけない、天使達を助ける策はないのか、目に見えない小さな大敵を早く撲滅して下さい。自然界は、梅雨が明け暑い真夏に季節の移ろいは何時もと同じ、人間社会だけが、この恐怖。そのコロナに立ち向かう看護師さん達に安全・安心の職場を早く与えてください。新薬の研究開発は、世界中で協力しているのではないですか。人類を看護師、医師を助けるためにスピードアップを願います。
私の家のお嫁さんは、看護師をしておりました。勤務先で笑顔はもちろんの事、家でも明るく太陽のような存在でした。
ところが2020年7月6日進行性乳がんのため、わずか43才の若さで永い眠りについてしまいました。職場では入退院を繰り返しながら病院の支えもあり、22年間看護師を勤めあげました。亡くなった事を知った方々から何人も、ねぎらいや感謝の言葉を頂きました。「本当に、よく頑張っていたのね」と笑顔の写真を見ながら毎日話しかけています。孫も来年の春は看護学校卒業です。母親の後を継ぎお世話になった同じ病院に就職しようと今頑張っているところです。院長先生はじめ看護師さん達も、心から尊敬できる本当に素晴らしい方達ばかりです。是非、孫にも生涯この病院の看護師として働けることを心より願っています。
母親もきっと天国から見守ってくれていると思います。「私の分までガンバッテ」と。
主人が今年三月より総合病院で肺がんの末期で治療の甲斐もなく緩和病棟でお世話になり、丁度コロナの時期と重なり見舞に行くことも許されず、我儘な夫は看護師さんにお願いして車椅子で売店に行き好きな物を買って食べたり、公衆電話から私の携帯に電話して 貰って色々な店のお持ち帰りを指定したりするので会う事が出来ましたが、長男は医師の呼び出しがあった時だけしか会えず次男は県外なので勿論許されません。その後医師から状態が安定しているので今なら家に帰れるとの事で介護用具や訪問看護の力をお借りして二ヵ月余り孫や曽孫にも会う事が出来本人は喜んでいたのですが、車椅子の移動やトイレの世話で私が心身ともにパニック状態になり看護師さんの大変さと有難さが判り、今でも感謝の気持で思い出す度に涙が出ます‼入退院の度に皆さんで送って下さったり、何時もこちらの身に寄り添って頂いたお陰で一週間の再入院で安らかな最後を見送る事が出来、ありがとうございました。敬具
私の母は92歳、老人保健施設で生活しています。母とはコロナ感染予防で半年近く面会できていません。頼りは施設の看護師さん。
高齢者の健康管理や身体機能維持、また、不安な心に寄り添ってくれています。コロナ 禍にあっては、母を守ってくれる看護師の方々に一層の感謝の気持ちをお伝えしたいと 思います。
私は日ごろ、風邪もめったにひかないような健康優良児。でも内臓に腫瘍ができやすい体質みたいで、過去に4回ほど手術をしたことがあります。私の場合、入院・手術は、カラダと共にココロが弱くなる傾向があります。
一昨年の手術は、術後痛み止めがまったく効かなくて、「お薬の上限までいっているから、痛み止めがもらえない」と知ったときは、恥ずかしながらちょっとしたパニックに…。そんな時、看護師さんがしばらく背中をさすってくれたおかげで、少し眠ることができました。痛み止めなんかよりめちゃくちゃ効果があった。手から何か出てるんですか?
チューブだらけで身動きできない時も、恥ずかしいお願いにも全く動じず、サササっと当たり前のように手伝ってくれたのは、精神的にとてもありがたかった。看護師さんがいてくれるだけで、心が強くなる。看護師さんは、本当に不思議な力を持っていらっしゃる。本当に本当に、ありがとう。
父の入院は20年以上前。母の入院も15年以上前のこと。それぞれに看護師さんには言葉に尽せないほど、お世話になりました。ほぼ毎日病院に通っていましたが、シフトでチームを組んでいる看護師さんが、患者家族のことまで申し送られているようで、温かい言葉、やさしい笑顔、強いサポート力と、自然体で支えてもらいました。みなさん激務だろうと思うのですが、当時感じたことは、女性の看護師さんがみんなきれいで美しく、まぶしかったこと。看護師さんによって父の血圧が上がることもわかって、笑い話になっていました。
新型コロナ禍にあって、ますます看護師さんの業務は増え続け、気遣うことが多く、未知との戦いが続いていることと思います。みなさん、これからまた秋冬の厳しい戦いが始まると予想され、どうぞよろしくお願いします。とにかく私自身がコロナを未然に防ぎ、みなさんのご負担にならないよう暮らすことで、応援したいと思っています。
四年前、私が傘寿の折、脊髄に出来た腫瘍の除去手術で入院したことがあります。術後二~三日、ほぼ一~二時間置きに排尿のため、点滴器を引きずりながらトイレに通いました。
夜は、宿直の看護師さんが付き添って下さいました。ただ、ベッドのナースコールのボタンを押す時は、回が重なるとさすがに申し訳なくて気が引けてきます。しかし、「これも仕事ですから気にしないで下さい」と、嫌な顔一つせずにフォローして頂き本当に救われました。目頭の熱くなる思いでした。
私たちのがん患者サロンでは、通院先を問わず患者と医療者がともに治療と向き合えるよう和める場を目指しています。今年は直接お目にかかってお伝えする機会がなかなかないので、日ごろの感謝の声を集めてみました。
●看護師の皆さん、いつも温かい励ましのお声かけをくださって心より感謝しております。
●看護師の皆さん、いつもどんな時も寄り添ってくださってありがとうございます。
●入院中、外来、訪問看護といつも、多くの方に支えて頂き有難うございます。そして、すべての看護師さんへ感謝とエールを送ります!
●コロナ禍、看護師の皆さんも不安があると思います。そんな中でも見せて下さる笑顔。それが前を向く力になります!
●大変な時期がまだまだ続きそうですが、お身体に気をつけて下さいね。
新型コロナウイルス禍における看護をされている日本そして世界中のナースさんたちに感謝とお見舞いの気持ちをお送りいたします。コロナ禍から私もデスクワークの仕事場でマスクをつけていますが、これほど苦しいものだとは思いませんでした。
しかし、思えばナースさんたちは、コロナ禍以前から業務上とはいえいつもマスク姿で看護にあたってくださっていたことに改めて気付き、自己犠牲的な働きに感謝が深まりました。そしてこれからも感染拡大防止にできる小さなこととしてマスク着用を続けたいとも思います。
正しい人の働きは命の木のようである、という昔の格言がナースさんたちにぴったりだと思います。言葉と看護によって私たちを助けてくださっているみなさまは命の木のような存在です。
これからインフルエンザの流行も始まります。どうぞくれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます。
自分の益だけを考えず、人のためになることに目を留め考え、時間体力気力を活用してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。状況が良くなるかどうかにかかわらず、希望を持って忍耐して働いておられる皆さんは本当に貴重です。
与える喜びを知っている人は幸せになる。と聞きます。皆さんの存在自体が高く評価され、報いが与えられることを願っています。
人を助け、強める皆さんこそが、助けを受け、強められ、励まされることも願います。何もできませんが、尊敬し、応援しています。
「“インセン”に感謝!」
忘れもしない五月二十八日、踏み台から落っこちてこりゃ駄目だと感じるものがあった。救急車、そのまま入院。“腰椎圧迫骨折”。コロナ禍の為面会禁止。三十八日目に退院するまで家族とは毎日の電話のみ。
三週間は寝たきり状態で天井と小さな空が世界の全て。俎板の上の鯉になりきって体を任せるしかなかった。ベッドでの排尿排便も恥ずかしいなどと言ってはおられない。
ある日、年配の看護師が「インセンしてもらってる?」と……「エッ?インセン?」 それからぬるま湯を用意して、手袋の手でていねいに陰部を洗ってくれたのである。「若い人は気づかないから。」と申し送りまでしてくれて、おかげで膀胱炎や腎炎にならずにすんだ。感謝でいっぱいである。
“インセン”気持ち良かったよ。感謝感謝!
世界各地で深刻な状況が続くなかでも、私たちがこれまで通り生活できるのは、看護師のみなさんをはじめとして、医療従事者の方々のご尽力のおかげです。
この日常を支えてくださる方々の日々の献身とプロフェッショナリズムを忘れず感謝し、同時に、みなさまの心身の健康が守られることを願うばかりです。
看護師という仕事を選んだ人は本当にすごいと思う。病気やケガで体力が弱り、不安を抱えて落ち込んでいる人を、支え励まし寄り添い続けるには、心も体も強くないとできないから。
患者は、看護師さんのサポートをどれほど必要として、またどれほど有難く思っていることだろう。
だからこそ、看護師さんには元気でいてほしいと思う。自分自身の体と心を整え、気分転換をする時間は絶対に必要だ。自分に余裕があるからこそ人を思いやり、やさしくできる。
看護師さんが余裕をもって仕事に向き合えるよう、社会の仕組みを考えたり行動したりすることが私たちの役目だと思う。看護師さん、いつもありがとう。
いつも人を優先させる皆さんは
本当に謙遜な人
とても強い人
心の優しい人
勇気を奮い起こしている人です。
マスク越しの言葉やまなざしから
安心をもらい
慰めをもらい
力や自信をもらっています。
時に私たちが、わがままな態度をぶつけても
病気を憎んで
一緒に悩んで
一緒に泣いて
寄り添い続けてくれます。
ストレスや緊張から、疲れているのに眠れない…
という日を重ねているかも知れません。
それでも、目の前の苦しむ人を放っておけない凛とした
皆さんのこころは、しなやかで強く美しいのです。
皆さんに、どうか
『ありがとう』…と何度も言わせてください。
今までもこれからも
皆さんのたゆまぬ親切と愛に
心からの…心からの感謝とエールを贈ります!
「皆さん、勇気を出してください。気力を失ってはなりません。皆さんの行動は必ず報われます。」(聖書の言葉より)
10年前と昨年、大きな手術を大学病院で受けました。退院までの10日あまり、看護師さんには感謝しかありませんでした。
痛くて仕方がないとき、恐る恐るナースコールを押すと「どうされました…?」と笑顔で入ってきて、処置したあと「もう大丈夫ですよ…」とほほ笑んで出ていく看護師さんの背中に向かって手を合わせたくなりました。なかなか口に出して言うのはむずかしいですが、そう思っている方は多いと思います。
コロナの医療現場で看護師さんが防護服を着て走り回っている様子を時々見ますが、 思わず「身体に気を付けて頑張ってください」と呟いてしまいます。
2011年に肝臓、そして2019年には心臓の長期治療で、大変多くの看護師の方々に文字通り「手取り足取り」お世話になり、お蔭さまで二度も「命拾い」しました。
現在は普通の生活が出来ており、これも偏に「使命感に溢れ」「オーラを纏った」白衣のプロフェッショナル達の献身の賜物と、個々の御尊顔を折に触れ思い起こしております。
今の当方に出来ることは、皆様のお手を再び煩わすことの無いよう、コロナ対策は無論の事、日々の体調管理に留意し、生き抜くこと。医療ニュースに接する度にそのように自戒しています。
看護師の皆様におかれましては、呉々も御自愛くださり、これまで通りミッションに邁進されますよう、ココロより祈念します。
コロナ禍で新しい生活様式も浸透しつつある中、大きな社会変化となったのが、働き方です。会社勤めならばコロナウイルスを避ける在宅勤務が日常になりました。
そんな状況でも、看護師の方々は医療現場に出勤し、ウイルスに接するという危険にさらされながら、患者を看病し、見守り、勇気づけている。看護師の方々の優しさ、温かさにどれだけ患者や家族の苦しみが救われているでしょうか。
私には忘れられない看護師さんがいます。義父が末期がんで自宅療養をした時期にお世話になった在宅看護師の方です。
いつも笑顔で病床の父に話しかけ、下の世話や沐浴、マッサージまでして下さいました。父は最期までその方が来るのを楽しみにしており、家族も一番頼りにしていました。最期に私たちが頼るのは、看護師さんなのです。
この時期、お仕事を続けるのが苦しい時もあると思いますが、人の苦しみを和らげることができるお仕事にぜひ誇りを持ち続けて頂きたいです。
こんな環境でも、患者の方に正面から向き合って、頑張っておられる看護師の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。そして皆さんと一緒に、治療中の方にお役に立てる商品を開発したいと思います。
職業柄、がん患者さんの看護に携わる看護師様にお会いする機会が多いです。
新型コロナウイルス禍であっても、患者さんの治療は変わらず行われていて、新たに対応しなければならない事がたくさん出てきた中でも、変わらず患者さんへのケアや、ケアの情報を届けたいという思いで活動されている看護師様方に心より感謝申し上げます。感染しないために、プライベートでの行動範囲や誰かと会うことも制限しているなど、ご自身の生活にも相当配慮して過ごされていることと存じます。
そのような皆様方のお姿を拝見し、不安の多い日々ですが勇気をいただきました。まるで長い長いトンネルの中にいるようで先が見えない状況ではありますが、いつか光が見えてくることを信じて日々を過ごしております。
心身ともにお疲れのなか、患者様の為にご尽力いただいておりますこと、誠にありがとうございます。どうか、ご自愛ください。
常日頃あまり病気には縁のない母ですが、六年前熱中症になり、今回も九十歳になって『類天疱瘡』で入院し、看護師さん達に、お世話になりました。
老人性の痛みと思い、ずっと掻かない様に言っていましたが、病気のせいで痛みを感じ、人格が変わったと思えるほど暴れた時もありました。
入院時、コロナの影響で面会になかなか行けず、行っても『10分』しか会えず本人には淋しい思いをさせました。
その分、看護師さん達がこまめに声掛けして下さり、治療を一生懸命して下さりました。手厚い看護本当にありがとうございました。
退院する頃二か月寝たきりで、身体こそ自由に以前の様には行きませんが、認知症とはいえ、家族の事を忘れず、周りに気遣い出来たのは、根気強く毎日お世話して下さったおかげです。今回も母は、家族で一番元気です。
「人生ふり返れば多くの看護師さんに感謝です」 患者の命の保全に、昼夜を問わず尽力されている看護師の皆様に、心からの敬意と謝意を申し上げます。
個人的には現在84才余ですが、幸い大病知らずで今日を迎えて、朝夕、佛壇で合掌の際も、自らの体にも感謝をする日々です。
今日この社会に、長い人生の折々に御世話戴いた看護師さんに、改めての感謝を―。まず高校時代の盲腸手術は、かかりつけ先で、看護師さんとは、姉弟の感じで対応して戴いて、今も名も知らぬまま姉の様に―。
大学時代の交通事故では、救急車での入院で、右脚骨折手術後45日の入院と、リハビリ通院の折まで御世話戴いた、飛騨出身の当時観音様に思えたH看護師さん。
昨年、腰骨を折っての治療で、一年近く毎週一回の注射を担当戴いた、知的なN看護師さん、注射の際の短時間にも広範な話題を―。
毎年の定期検診では、内科・眼科・歯科で夫々の看護師さんに御世話戴き、感謝です。
検温、アルコール消毒、ソーシャルディスタンス…。非日常の病院の中は、不安がいっぱいです。
でも、マスクの下から聞こえてくる声は、いつもと変わらない笑顔いっぱいの声。感謝。感謝。感謝の気持ちでいっぱいです。
「いつも笑顔で対応してくださるYさんへ」
2週間に1度の治療で、いつも他愛のない会話や時には治療の副作用の相談、日々の困りごとを聞いてくださるYさん。
転院してすぐ、前の病院との違いへの戸惑いをぶつけてしまったとき、つつみこむように対応してくださってとてもとても感動しました。治療後のランチを自分へのご褒美としている私に、地元のおいしいものを忙しい中即座に、そして的確に教えてくださって、自分の世界が少し広がってきました。
まだまだシビアな状況は続きますが、お互い体調に気を付けて末永くお付き合いいただけると嬉しいです。ではまた、来週!
日々の勤務お疲れ様です。みなさんのおかげで安心な生活ができていることに感謝いたします。看護師のOBとして、自分の生活の場でコロナ感染の予防のお手伝いを考えています。看護師のみなさんくれぐれも自分の体をご自愛ください。ありがとうございます。
地域に密着した診療所やクリニックから大きな病院で働いていらっしゃる看護師の皆さん、毎日お疲れ様です。そして、ありがとうございます。
私は、体の調子が悪い日からインフルエンザなどの予防接種に至るまで、いつも看護師の皆さんには、お世話になっております。現在、世界中で流行している新型コロナウイルスの関係で、多くの患者さんをみるため、毎日朝から深夜まで働いていらっしゃる姿を見て、本当にありがとうございます。
私は、毎日手洗いからうがいや消毒まで、自分でできる最低限のことで、予防を心がけています。なので、新型コロナウイルスが収束するまで、まだまだこれから時間がかかるかもしれませんが、一緒に頑張りましょう。私も、頑張ります。
コロナ禍で感染の不安がある中、日々ご尽力してくださり本当に感謝申し上げます。日々の業務に加え感染対策等で心も身体もお疲れかと思います。それにもかかわらず、 「暑い中お疲れ様です。お気をつけて」と私にもお気遣いのお言葉いただきました。看護師の皆様の温かい言葉にきっと患者様も助けられていることと思います。どうかご自愛ください。
8年前、29歳のときに突然婦人科がんが発覚し、1年の間に7回の入院と、30回以上の通院をしました。それまで大きな病気をしたことのなかった私には、これから何が起こるのか、自分はどうなってしまうのか、すべてが不安で心細く、身体以上に心が追い詰められていました。
そんな私にとって、病院で過ごす日々で一番力になってくれたのが看護師の皆さんでした。術後の自分では何も出来ないときも、何が不安かすら言葉にできなくてただただ泣きたいときも、徐々に現状を受け入れて元気になってきたときも、看護師さんたちは変わらず、プロとして落ち着いているけれども、親身に寄り添ってくれて、その変わらなさが私を励ましてくれました。当時は余裕がなくて、きちんと十分にお礼が言えなかったことが心残りでしたが、私が今元気なのは間違いなく、あのときの看護師さんたちのおかげです。 一生忘れません。本当にありがとうございました。
私は病気や怪我もなく看護師さんとの関わりはケアに関わる仕事と自身の健診ぐらいですが、親、兄弟は何らかお世話になってきました。
自身の仕事は口腔ケア、アピアランスケアと外来、病棟、訪問看護などいろんな看護師さんとケアの部分で関わり10年になります。
仕事で看護師さんと接しておりますが、このコロナ禍で日常業務に大変気を使われ大変な事と思います。今まで勉強会や相談会などでいろいろお世話になり普通にしていた事ができませんが少しでも看護師さんのケアのお手伝いをしたいと思い営業しております。
今、看護師さん達にお伝えしたい事は感謝の気持ちです。ありがとうございます。ご自身のお体やご家族も大切にして頂ければと思います。
胆嚢炎を悪化させて、還暦を過ぎて生まれて初めて入院手術を経験した。まったく勝手がわからなかったが、入院した時から看護師の方々に世話になりっぱなしであった。手術の前日に入院したのだが、看護実習生をつけても良いかとの要望があったので、こんな自分の体が役に立つのであればと快く承諾したのだが、自分の息子よりはるかに若い実習生、どうなることやらと期待と不安が入り雑じった気持ちであった。彼女はそんな気持ちなどどこかにいってしまうくらい、一生懸命世話をしてくださった。そのおかげで、私の入院生活は大変楽しいものになった。きっと立派な看護師になられたと思うが、指導についた諸先輩看護師が素晴らしかったに違いない。患者の面倒をみるだけでもたいへんな仕事なのに、後輩もきっちり育てる。全く頭が下がります。
患者さんに寄り添う看護師様、その他治療に携わる医療従事者の皆様。
コロナ禍、ご自身の生活と看護との両立。心身共にお疲れの事とお見舞い申し上げます。今までの院内の様子とは違い、緊張感もさることながら、いつもの業務外を担当されて いることも伺っています。
私たちに出来ること。それは感染者を増やさないこと。コロナで病院にかかる人を少しでも減らすこと、増やさないことだと思います。皆様が日常の業務・生活に早く戻れることを願います。
全国のスタッフは、がん患者さんに関わる医療者の方々に訪問しお世話になっております。日頃のお礼と共に、皆様の安全をお祈り申し上げます。
脳梗塞の後遺症がある80代の夫が尿路感染症と前立腺肥大で完全尿閉に。病院での治療と老健でのリハビリを終え、自宅に戻ってからはコロナ禍のこともあり、月1のバルーンカテーテルの交換や毎週の膀胱洗浄は訪問診療と訪問看護をお願いしました。
順調と思っていたのが深夜突然、下腹部に激痛が。カテーテルが詰まったのです。時計は既に1時を過ぎていましたが、訪看さんに助けを求める事に。当番の方は車で30分以上するところから駆けつけて下さり、テキパキと膀胱洗浄をしていただき、おかげ様で事無きを得ました。翌朝には確認の電話をいただきと至れり尽くせり。
訪看さんは総勢5人で365日24時間対応、いつナースコールがあるかわからない緊張をしいられる毎日。しかもドクターは同行せず一人で対処。そんな訪看さんの幅広い知識と経験に裏打ちされた正確な判断と確かな技術が患者を救うのですね。夫にとって一次救命救急の訪看さんには感謝の日々です。
よく眠れていますか?休息はきちんと取れていますか?リフレッシュできていますか?サージカルマスクは?医療用ガウンは行き渡っているのでしょうか?
私たちがそんな心配ができるほど、看護師さんたちは安心を与えてくれました。高い職業意識?崇高な責任感?いえいえ、皆さんを動かしているのはもっと純粋なものなのかも知れません。
新型コロナウイルスの感染から半年が過ぎました。冬が終わり、春が来て、そろそろ夏も終わりです。今では、ひと頃のように大騒ぎすることがなくなりました。それとともに、医療の最前線で新型コロナウイルスと取り組んでいる皆さんのことを忘れてしまっているようで心が痛みます。
毎日のように感染者が出ています。感謝の気持ちは毎日持ち続けたいと思うのです。
コロナ禍の特集を観て、前線で対応される看護師さんの姿に感動しました。改めて敬意と感謝を込めて。
看護師さん、危機的状況であってもなくても変わらない看護の精神にありがとうございます。
患者の身体と心、両面から寄り添うことのできる技術とハートを持つ看護師の方々を尊敬し、感謝します!進歩する医療に対応して常に勉強をし続け、命を扱う緊張感のなかで日々を送る。そのプレッシャーに負けずお仕事を続けて頂けますように。そしてその姿に続く若者がこれからもたくさんいますように。
「声をかけてやってくださいね」終末期の一言に感謝
5月から嚥下障害で入院していた姉(6人兄妹の長姉83歳)の面会は新型コロナウイルス感染防止のため実現できず、花の写真を葉書にしてお見舞いしていました。7月に入り面会が可能になり、久しぶりに姉妹3人で顔を合わせ、話すことができました。その2週間後、連絡があり病院に行くと、姉はもう呼吸が浅く意識がありませんでした。私たちは姉の手や足をさすり、辛いだろうと思う背中や腰に手を入れて話しかけました。姉の閉じた目に涙が滲みました。その後看護師さんが血圧測定に来てくださいましたが、もう測れませんでした。その時看護師さんは動揺することなく「声をかけてやってくださいね。」と、やさしく私たちに一言添え病室を出ていかれました。長年苦労をかけた姉を、子・孫・兄妹だけで静かに見送ることができました。まるで自宅で看取ったかのような空間でした。
やさしい看護師さんの一言とお気遣いに感謝申し上げます。
―ここは神様のお膝元—退院が近づいたある日、そう感じました。
家族に心配をかけたくない一心で、「なんて事はない。大丈夫。」で通しましたが、それができたのも、いつも寄り添ってくれる看護師さん達がいてくれたからだと思います。確かな知識と技術を持ち、且つ常に穏やかな笑顔で接してくれる姿は、まさにプロフェッショナル!術前の検査から手術、退院まで安心して心身を委ね、治療に専念する事ができました。本当にありがとうございました。
また、看護科の研修生が付いてくれ、「彼女も数年後には立派な看護師さん」そう思うと、今頑張っている看護科の多くの学生さん達の事も応援したくなりました。
青い空、白い雲と比治山を眺めながらの病棟7階は、ちょっぴり天にも近く、そこにはプロフェッショナルの天使達がおりました。
心からの感謝と共に、皆様の御健康と御活躍をお祈り致しております。
いつも、ありがとうございます。
私は、病院まわりを営業する仕事で、看護師さんとお話をします。発熱外来にヘルプにいく方、コロナ病棟にヘルプにいく方、様々な看護師さんが、普段とは違う働き方で緊張状態の中働かれていた。
4月5月、6月以降から現在に至り、まだ油断はできないが、ある看護師さんから、看護師も一人の人間だから、と。久しぶりにお会いできた看護師さん、私の顔を見て弱音を吐く。私との会話で、少しリラックスできたなら嬉しい。
今後も寄り添い患者様の為に協力できる提案営業をしていきたい。いつも本当にありがとうございます。
新型コロナウイルス感染者が急増し、落ち着かない日々が続いていた今年3月26日朝、27歳の娘が逝ってしまいました。自死でした。葬儀を終えた1週間後、安倍総理大臣が、緊急事態宣言を行いました。テレビ画面では、人並みの消えた町が映り、MC、有識者、そして、専門家と称する方々が、延々としゃべっています。が、私には、何もかもうつろに響き、遠い世界の出来事としか感じることができない日々が続きました。5か月経った今でも変わらず、空しく通り過ぎていく情報の洪水。
そのような中、「実」と感じることができるものがありました。最前線の現場で働く、医療現場の方々の姿です。実感といいますか、地に足をつけて歩く感覚です。それだけのことなのですが…。ありがとうございます。ご自身の心身を、そして、親しい方を大切にしていただきたいと願っています。
日夜、全身全霊で、多くの患者さんに寄り添い励ましてくださっている看護師さんに心より感謝申し上げます。皆さんのご負担にならないよう、日頃からセルフケアを行ってまいります。
私は、看護師です。既にリタイアしておりますが、このように看護師への感謝の世論が高まり、御支援の企画に心より感謝申し上げます。私は、長く看護基礎教育に教師として携わり、学生に看護の素晴らしさを伝えて参りました。看護の「看」は「手」と「目」でできている、私達の役割は、目の前の助けを必要としている人に、温かな手と、その人を深く観る目で、寄り添うことであると、話してきました。特別なことではありません。看護師は、無償の志で患者に向き合いますが、寧ろ相手、患者様より学ぶことばかりです。
コロナという目に見えないウイルスには、予防のための基本的な看護技術を要します。プロフェッショナル所以でありますが、それにより、自分・他者を護れます。専門知識に裏付けされた知識・技術で対応していますから、恐怖はありません。これまで、陽の当らない医療従事者への敬意は、更なる強い力となります。心より有難く存じます。
いつも、笑顔と温かさで包んで下さりありがとうございます。この大変な時期に最前線で戦っている皆さんに、本当に世界中の人々が、体だけでなく心も救われていると思います。 書写の授業中に、呼びかけたら、子ども達の気持ちが集まりました。どうぞ、お受け取り下さい。感謝の気持ちが伝わりますように。
※先生からの呼びかけにこたえて小学生の皆さんが書いてくれたメッセージを、このあと紹介します。
お医者さん看護師さんへ。いつもみんなのためにコロナにたちむかってくれてありがとうございます。みなさんたちは、わたしたちのヒーローです。命がけなのに、ほんとうにありがとうございます。
コロナにかんせんしてしまった人は、つらいと思います。でもみなさんたちがいるからまだこのよにいると思います。がんばってください。
最前線の医療従事者、看護師さんへ。命がけで、医療現場へ立ち向かっていただきありがとうございます。今は、孤立を感じている方も多いと思いますが、コロナがしゅう束すれば、家族と大事な時間を過ごせると思います。
もし、医療従事者や看護師さんがいなければ、たくさんの命がなくなっていたかも知れません。苦しい時期ですが、がんばってください。
医療関係者の皆様へ。お疲れさまです。いつもコロナウイルスのことをよくニュースで拝見しています。そこには必ず、コロナに立ち向かう皆さんがいます。
患者さんの命を一人でも救うために動いていました。僕は学校で手洗いや消毒をかかさず行っています。
僕はテレビで見る皆さんがコロナに立ち向かうことがすごくカッコいいと思います。尚、体調には充分気を付けて!
ぜんこくのかんごしさんおいしゃさんへ。いつもみなさまのことにたいしてやさしくこえをかけてあげたり人のことやいやなことをきいてくれたりしてありがとうございます。コロナにまけるな!
かんごしのみなさまへ。新型コロナウイルスがはやっている中、毎日お仕事、大変なことと思います。私たちも感染防止にできることに取り組んでいますが、なかなかしゅう束しません。
そのような中でたくさんの命と向き合い、たくさんのかん者さんを救うため、ご苦労がたえないことと思います。どうかお体に気を付けて、休める時は休んで下さい。
コロナウイルスのかんじゃさんのためにくすりを作ってくれてありがとうございます!コロナウイルスのためのくすりを作るのにがんばっている間、私はコロナウイルスをふせぐまたは多くの人がコロナウイルスにならないようにみんなでできるだけをがんばりたいです!!なのでそちらがコロナウイルスのためのくすりができるようにがんばってください!!
新がたコロナウイルスのかん者を、うけ入れるのだけでも、たいへんなのに、いのちがけで、はたらいてくれて、本当に、ありがとうございます。私は、新がたコロナウイルスだけで、おおくの人が命をおとした事が、とても悲しいです。これからもがんばってください。
かんごしさんへ。今のじきコロナウイルスがはやっています。私もコロナウイルスがこわいですが、一番こわいのはおいしゃさんとかんごしさんだと思います。なので私はかんごしさんをおうえんするためにこのお手紙をかきました。がんばってください。おうえんしています。
看護師さんへ。コロナに感染してしまった人たちを治すために治療してくださってありがとうございます。私達は、コロナが怖くてなかなか病院へ近づきづらいけど、でも誰も病院に来なかったら感染した人がもっと重病になってしまうので、お医者さんと看護師さんの存在はとっても重要だと思います。
私たちができることと言ったら、コロナにならないように気をつけることです。コロナにならないようにすれば、感染者がどんどん減っていくんじゃないかと思います。でも国で流行っているので、簡単にはいかないけれど、平和な日々を求めて頑張ってください。私たちも応援しています。
いのちがけで新がたコロナウイルスをおさえようとしてくれてありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。おうえんしています。コロナにきをつけてがんばってください。
おいしゃさんへ。コロナにたちむかっている、おいしゃさん。いまは、たいへんですが、あきらめないでがんばってください。あきらめないで、がんばればかならず、コロナに勝って、いい未来がやってきます。がんばってください。
こんにちは。今こんなにもあぶない時期にたくさんの人のために一しょうけんめいはたらいてくれてありがとうございます。
まだぜんぜんおさまっていませんが、かんごしさんもコロナウイルスにかからないように気をつけてください。かんごしさんも体に気をつけてがんばってください。
医りょう従事者の皆さんへ。今、コロナで感染が拡大していて、苦しい中、感染者を1人でもなおすために全力をつくしてくださってありがとうございます。コロナ感染者を少しでもへらすために手洗い、うがいをしっかりかかさずします。なのでコロナに負けないでください。
かんごしさんへ。いつもコロナウイルスのためにはたらいてくれてありがとうございます。私は、コロナウイルスの中で命がけの仕事に向き合えるのが、すごいと思います。ぜひ、これからも、私たちのために、お仕事がんばってください。おうえんしています。
お医者さんと看護師さんへ。いつも大変な中、おつかれさまです。私は、コロナの薬が早く出来て、家族といっしょに安心して暮らせることを、いつも思っています。人々を助ける事が出来るのは、お医者さんと看護師さんだけです!これからも、よろしくおねがいします。
お医者さんと看護師さんへ。みなさんいつも大変な中おつかれさまです。わたしのおじいちゃんはPCR検査をやる人です。四年生になって6月は会っていたのですが7月から会えなくなってしまいました。みなさんコロナに負けず人々を助けてください。わたしもおうえんしています。
かんごしさんへ。こんにちは。わたしは毎日ニュースをみていて、コロナの感せん者数がふえているのに、かんごしさんは、いつもがんばっているんだな、と思います。学校でも、給食の時はしゃべらないで食べたり、バスでもあまりしゃべらないようにしています。
コロナに負けずに、これからもがんばってください!
いりょうじゅうじしゃの皆様へ。いつも、いろいろな病気の人を治りょうしてくれて、ありがとうございます。私は、みじゅく児で生まれたので、NICUに入院しました。病院の皆様のおかげで今、こうして元気に学校に通えています。今は新型コロナウイルスのかんじゃさんも多くて大変だと思います。これからも、体に気をつけて、お仕事をがんばってください。
いま新型コロナウイルスのかんじゃさんを治している医りょうじゅうじしゃのみなさんありがとうございます。息がしにくいN95のマスクをつけたりガウンなどをきたりなどして大変だと思います。とくに夏は暑かったと思います。ぼくの夢は医者なので大きくなって同じようなことがおきたら全力をつくします。がんばってください。
いつもかんじゃさんを見てくれてありがとうございます。
かんごしのみなさんへ。みなさん、コロナのまっさい中に、お仕事をいっしょうけんめいしていて、あこがれるそん在です。私はコロナにはかかっていませんが、父が東京でたんしんふにんしているので、「かかったらどうしよう」と思います。これからもがんばってください!!
かんごしのみなさんへ。いつもみんなのために、ちゅうしゃや、手あて、けがをなおしてくれてありがとうございます。いまは、コロナウイルスが、まちじゅうにひろがっているので、かんせんしないように仕事をつづけて、がんばってください!まちじゅうのみんながおうえんしています。
がんばっているかんごし・お医者さんへ。いつもびょうきやかんびょうをしてくれて、ありがとうございます。そのおかげで私バリバリ元気ですごしています!かんごしさん・お医者さんたちもお体にお気をつけて、おすごしください。かんごしさんの顔を見ると、安心できます。お医者さんはびょうきをなおしてくれてありがとうございます。
いつもありがとうございます。これからもよろしくおねがいします。
さいぜんせんでたたかってくれているおいしゃさんかんごしさんへ。ぼくはいつもマスクをしてかんせんたいさくをしています。いまそちらでもぼうごふくをきてやっているとおもいます。ぼうごふくをきているとあついとおもいます。なので、ねっちゅうしょうにきをつけてください。
ぼくは、おいしゃさんのことすごくかんしゃしています。コロナとたたかってすごいです。なおしてくれるのをきたいしています。おいしゃさんのみんなもコロナに負けないでください。いちばんあたまをつかっていてぼくはすごくきたいしています。どうかコロナをなおしてください。家族とたのしくみんなとあそびたいからです。おねがいします。
いつもかんじゃさんのためにがんばってくれてありがとう。もんくなどをいわれたりしても、はたらきつづけていて、すこしものぞみをすてずにこれからもずっとずっとがんばりつづけて、コロナウイルスがかからなくなるようにがんばってください。
医療にたずさわっているみなさんへ。私の夢はかんごしさんになる事です。わたしは、医療にたずさわっているお医しゃさんにあこがれてかんごしという夢をもちました。
お医しゃさん・かんごしさんをテレビでみているとコロナウイルスのかんじゃさんとのたちあいがすごくしんぱいだと思います!これからもおうえんしています!!
いりょう現場で働くみなさんへ。コロナの流行や熱中しょうなどから私たちを助けて下さってどうもありがとうございます。みなさんもどうかお体を大事になさって下さい。私もコロナに負けずに頑張ります!
かんごしさんへ。こんにちは。はじめまして。コロナウイルスに感染した人やなくなった人が多くなって、います。コロナウイルスのニュースをよく見ています。おいしゃさんやかんごしさんがコロナにかんせんされ、なくなったりするのをしりました。とても、かなしいです。コロナにかんせんされないように、これからもおうえんします!
かんごしのみな様へ。いつも私たちのケガや、病気の手当てをしてくださり、ありがとうございます。私にとってのかんごしは、いつも親切で、やさしくて、1人でも多くのかん者さんの病気をなおそうと、心があたたかくて、やさしさ、それから笑顔があふれたとてもすばらしいかたたちだと思っています。これからも、コロナウイルスに気をつけて、かんごしのお仕事を、がんばってください!おうえんしています!!
かんごしさんへ。コロナ禍の中びょういんで死ととなりあわせの毎日でこわい思いをしながらもはたらいているのは、すごく勇気のいることだと思います。私なら、きっとできません。だからかんごしさんたちをそんけいしています。これからもがんばってください。
自身のコロナ感染の危険を知りつつ、日々患者の世話をする看護師さん達にとても感謝、尊敬してます。どんな時も患者に対し優しい気持ちで笑顔、言葉をかけてくれる。そんな看護師さん達に日本の医療は支えられていると思います。様々な苦労はあると思います。お体に気をつけて、今後もご活躍される事を願ってます。ありがとう、ナースさん。